ちょっと硬派なコンピュータフリークのBlogです。

カスタム検索

2014-06-13

特許制度が破綻していることを示す最近の2例

最近、特許関連で興味深い2つのニュースが流された。本ブログでは、これまでにも書籍「<反>知的独占」の書評などで特許が如何に害悪であるか、社会にとって不必要なシステムであるかを述べてきたが、2つのニュースはそれを裏付けるような内容だった。

Amazon Technologies, Inc.による写真撮影の特許


Amazonが写真撮影の手法を「発明」したとして特許を取得したことが判明 - GIGAZINE

この特許は、商品の写真を撮影するときに照明の角度などを工夫することで綺麗に撮れるというものだ。

引用:撮影の場合には、メインストロボ(107)やリア照明(115/117/119/121)や遮光板(131/133)、遮光カーテン(108)などを組み合わせることとされています。

という事らしいが、こういった機材を使うのは商品の写真撮影では極めて自然なことではないだろうか。上記のニュースには続きがあり、このような特許が成立してしまった経緯についての解説がなされている。

Amazonの特許として「スタジオ撮影での常識」が認められてしまった理由とは? - GIGAZINE

引用:出願テキストには「4.5~5.5」という数値に関する詳細は記載されていなかったので、審査官はなぜこの数値が都合の良いものなのか分からなかったそうです。しかし、特許は認定されました。それは、Amazonの「スタジオ内での配置」という特許が優れたものではないものの、これまでに認定されてきた特許とは「明確な数値が記載されている」という点で明らかに異なり、特許を与えるには十分な違いだった、ということのようです。

具体的な数値が記載されているということが特許の決め手になるらしい。今後、Amazon以外の写真家たちは、この特許に記載された距離や角度を避けて撮影しなければならないということになる。さもなくば、Amazonと特許のライセンス契約を締結し、ライセンス料を支払わなければならないだろう。

多くの人は特許によってイノベーションが加速すると信じ込んでいるようだが、そんなことは全くない。この写真の特許のどこにイノベーションがあるというのだろうか。現実には、Amazonがやったように、企業がライバルを妨害するために特許が使われるのがほとんどである。特許制度はむしろイノベーションを阻害するのである。

なんて馬鹿馬鹿しい話だ!!

Teslaによる特許の無償ライセンス


思わずスタンディングオベーションをしたくなるニュースがこれだ。

Tesla、特許をオープンソース化。誰が使っても訴えないと約束 | TechCrunch Japan

引用:Tesla Motorsは、環境に優しい輸送手段の出現を促進するために生まれた。もしわれわれが魅力ある電気自動車を作する道を拓いても、そこに知的財産の地雷を埋めて他社を拒めば、目標に反する行動を取ることになる。Teslaは、当社の技術を、誠意を持って利用する何人に対しても特許訴訟を起こさない。

特許を広く無償でライセンスし、多くの企業の参入を呼びかける。その結果産業全体を盛り上げ、なおかつ自社は先行者としてのアドバンテージを活かして儲けるということらしい。

いや、全くもって素晴らしい考えだ。これによって間違いなく電気自動車の業界は発展するだろうし、Teslaのビジネスも上手く行くのではないかと思う。商品はライバルが居てこそ魅力的に見える。電気自動車はガソリン車とあまりにもかけ離れているので、スペックを聞いてもいまいちピンと来ない。だから比較できるライバルが必要なのだが、特許を無償でライセンスすることは、強力なライバルが出現する可能生をグッと高めることになる。Teslaが今後も勢力的に技術開発に取り組むのであれば、うまく先行者利益を得ることができるだろう。

電気自動車は、ガソリン車に比べて明らかにイノベーティブな乗り物だ。だが悲しいかな、イノベーティブ過ぎて市場に浸透するには時間がかかることが予想される。そのように真にイノベーティブな製品にとっては、特許など無用の長物となっているように見える。

まとめ:特許は要らない

私は、現行の特許制度は間違っていると思う。大量の特許申請を処理する運用はもはやザルだと言っても過言ではないし、何より特許はイノベーションの加速、技術開発の推進にまったく貢献しない。企業がライバルを妨害するために使われるだけであり、抜本的に特許制度というものは見なおすべきである。

だが、勘違いして欲しくないのは、あらゆる企業に「今すぐ特許を行使するのをやめろ」と言ってるのではない。あまりに悪質なものは行使するべきではないと思うが、競争の土台として特許制度が存在する以上、利益を追求するために企業としてそれを利用するのはごく自然なことである。そうではなく、特許という制度に対して疑問を持ってみませんかと投げかけているのである。

特許を利用することに対して批判することと、特許制度そのものへの批判は違う。特許を利用する企業が悪いのではなく、特許制度がダメなのだ。特許を利用しないと競争に負けるのであれば、企業はそれを使わざるを得ないではないか。

そういった意味では、当然ながら特許制度を強化するようロビー活動をする企業などは批判したい。特許制度の強化は企業の支配力を強めるための活動であり、市場にとっては好ましくない状況になるからだ。どんなものにでも欠陥はある。人が考え、運用している制度ならばそれはなおのことである。もちろんどんな悪い制度にも、マイナス面だけでなくプラスの面があることは否定しないが、トータルで見ると特許制度は社会にとってお荷物でしかないと私は思う。

皆さんは過去に1度ぐらいはエジソンの伝記などを読んだことがあるのではないだろうか。そういったメディアによって、特許が世の中にとって役に立つものだと、一切疑うことなく信じてしまってはいないだろうか。もしそうだとしたら、ぜひ書籍「<反>知的独占」を読んで欲しい。その上で、もう一度特許制度の是非について考えてみては頂けないだろうか。

0 コメント:

コメントを投稿